日本史×科学 第2回「豊臣秀吉と天正地震」

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かりうむ

某大学技術職員(40代)。ニワトリとウズラとメダカと、PCRとプログラミング(少々)のお仕事。地球惑星理学修士(地球化学専攻)。 理系とーくラボラジオ部のMC。詳しくは旧Twitterの@tokuo_no_otoまで。こちらも是非。

私はNHKの大河ドラマが結構好きで、よく見ています。2023年は『どうする家康』、徳川家康が主人公でした。主人公の王道ですね。

この作品の主な舞台は戦国時代。ということは当然、豊臣秀吉も絡んできます。

今回は天正13年(1586年)に中部地方で発生した「天正地震」について、地震が秀吉に与えた影響に触れながらご紹介したいと思います。

もしこの地震がなかったら、徳川幕府(江戸幕府)は成立しなかったかも……!?

 

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秀吉の対家康戦略の転換

本能寺の変(1582年)で織田信長が明智光秀に討たれたことで、織田家に後継者問題が勃発します。

それは織田家の重臣たちの対立を激化させ、清洲会議(1582年)、賤ヶ岳の戦い(1583年)を経てついには小牧・長久手の戦い(1584年)へと突入します。

清洲会議
本能寺の変から25日後、天正10年6月27日(1582年7月12日)に尾張国・清洲城に織田家の重臣4名(柴田勝家〈しばたかついえ〉、丹羽長秀〈にわながひで〉、羽柴秀吉、池田恒興〈いけだつねおき〉)が集結。信長の後継者選びと遺領の再配分を話し合った。
賤ヶ岳の戦い
清洲会議を機に、信長の三男・織田信孝(おだのぶたか)を擁立する柴田勝家と、信長の嫡孫・三法師を擁立する羽柴秀吉が激しく対立。
 最終的に、この戦いに負けた柴田勝家は自害し、秀吉は天下統一へと大きく歩を進めた。


※画像は愛知県長久手市にある長久手古戦場(古戦場公園)

この小牧・長久手の戦いで織田信雄(のぶかつ)・徳川家康連合軍は当初、わずか1万7千の兵で豊臣秀吉軍10万の軍勢を圧倒しました(一説では秀吉軍は6万とも)。

ところが秀吉の策略により信雄が単独で和睦に応じたため、戦いの大義名分を失った家康も和睦するほかなく戦いは終結します。

秀吉の策略
秀吉は信雄の本拠地である伊勢国へ猛烈に侵攻。約6ヶ月も籠城で耐えていた戸木城(へきじょう)を陥落させた。さらには信雄の居城である長島城を攻撃する素振りさえ見せ、信雄はみるみる戦意を喪失していったとされる。

しかし秀吉は家康を武力で完全制圧することを諦めてはおらず、その後も岐阜の大垣城に着々と兵糧を備蓄していました。家康の本拠地である三河への出兵を目論んでいたのです。

ところが史実を見ると、それ以降秀吉が徳川方と戦をしたという記録はありません。それどころか自分の妹や母を徳川方に人質として送っています。

当時の秀吉は、天下人としての威厳を示すために家康を上洛させ、臣下の礼をとらせたいと考えていました。

戦国時代における人質は、今日で言うところの単なる人質ではありません。相手への信頼の証であり、「和解の意思を示している」というアピールでもありました。

これを受け入れず対抗するということは、当時の価値観からすれば信義に欠ける行動に他なりません。世間から批判され、最悪秀吉に攻め込まれる可能性も大いにあったでしょう。

これは家康にとってかなりの心理的圧力となったはずです。

結果、家康は上洛し、秀吉の臣下に下りました。

しかしあれほどまでに武力制圧にこだわっていた秀吉が、なぜ急に方向転換をしたのでしょうか? これには天正地震が関係しているという説があります。

 

天正地震とは

天正地震は天正13年(1586年)に現在の岐阜県で発生しました。

その規模はマグニチュード7〜8(推定震度7)と、大変規模の大きい内陸地震と見られています。

地震の規模については、科学的な記録はもちろんありませんが、建物の被災状況などの記録からの推測によるものです。

被災の記録が残っている範囲から、地震を引き起こした主な活断層は岐阜県の阿寺(あてら)断層、御母衣(みぼろ)断層(庄川断層帯の1つ)、三重県の養老断層、伊勢湾断層等と推測されています。

庄川断層帯
岐阜県北西部を北北西から南南東に走る、約67kmの活断層帯。

またこの地震は単発の大地震ではなく、複数の断層が数日かけて別々に地震を起こした(誘発された?)とも考えられています。余震が約1か月続いたという記録もあります。

 

秀吉の領地における被害状況


※画像は熊本城の被災の様子(2016年熊本地震)

記録によると、三河攻略に向けて兵糧を備蓄していた岐阜県の大垣城は全壊・焼失。

岐阜県の白川郷にあった帰雲城(かえりくもじょう)では、城も城下町も山崩れで埋没し、城主・内ヶ島氏のみならず領民も全滅したそうです。

また、山内一豊(やまうちかずとよ)の居城である滋賀県の長浜城も全壊。琵琶湖畔という場所柄、交通の便が良い一方で地盤が弱く、大きな被害につながったようです。


※画像は伊勢神宮・内宮です

そのほか、三重県北部では織田信雄の拠点である長島城が全壊しており、軟弱地盤から水が噴き出す「液状化現象」も発生。加えて、県南部の伊勢神宮の外宮でも破損があったようです。

さらには富山県にある前田利家(まえだとしいえ)の弟の拠点・木舟城(きふねじょう)でも崩壊・陥没が確認されています。

このように、天正地震は非常に広範囲に、秀吉の領地に甚大な被害をもたらしました。

 

▼主な被害状況まとめ

場所 被害状況
大垣城(岐阜県) 全壊・全焼
帰雲城および城下町(岐阜県) 山崩れで埋没
城主内ヶ島氏と領民全滅
長浜城(滋賀県) 全壊
長島城(三重県) 全壊・液状化現象
伊勢神宮・外宮(三重県) 破損
木舟城(富山県) 崩壊・陥没

 

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地震が秀吉に与えた影響

帰雲城については、城下300件以上、推定500人余りの集落が帰雲山(かえりくもやま)の崩壊による土石流で一気に埋没したと伝わっています。

一方で、土砂により堰き止められた川が氾濫したのもあって、現在においても当時の集落の場所を特定できていないそうです。

この地域は鉱山資源が豊富で、内ヶ島氏は金山を2〜3件発見していたとされています。

秀吉は小牧・長久手の戦いの折に内ヶ島氏を降伏させた上で、内ヶ島氏の採鉱技術を重要視して領地のほとんどを安堵しました。

安堵
幕府や領主が土地の所有を承認し、保証すること。
 通常、戦で負けると領地を奪われたり縮小することになる。

しかし先述の通り、天正地震によって帰雲城とその城下町は全滅しています。言うまでもなく、鉱物の掘削もできなくなってしまいました。

加えて秀吉の領地では各地で地震による大規模な被害が出ています。

もはや秀吉に金銭的余裕はありません。家康を軍事的に攻略する資金を工面できなくなり、敢えなく対家康戦略を人質による懐柔策に切り替えた、といったところでしょうか。

もしこの地震がなかったら秀吉が家康を攻め滅ぼし、徳川幕府が成立しなかった可能性もあるのかもしれませんね。

 

理系とーくラボ・ラジオ部「とくおのおと」でも取り上げています。こちらもぜひどうぞ
<参考資料>

磯田道史『天災から日本史を読みなおす』(中公新書、 2014年)

天正地震の概略(岐阜県ホームページ)

https://www.pref.gifu.lg.jp/page/5977.html

豊臣秀吉が地震に振り回された話(京都府立洛北北高校ホームページ)

http://www.kyoto-be.ne.jp/rakuhoku-hs/mt/education/pdf/日本史の本16(第35回)『今こそ知っておきたい災害の日本史』(中).pdf

岐阜県神戸町ホームページ

https://www.town.godo.gifu.jp/safety/safety18.html

幻の帰雲城(岐阜県白川村ホームページ)

https://www.vill.shirakawa.lg.jp/1228.htm

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