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こんにちは、生物系の大学院生をしているエンドウと申します。今回は理系の作家さんが書かれた小説の書評を僭越ながら書かせてもらいました。
今回読んだ小説はこちら。伊与原新 先生の「八月の銀の雪」です!ご存知でしょうか?
理系の作家さんと書きましたが、伊与原先生は地球惑星科学の分野で助教として実際に研究をされていた、まさに”先生”と呼ぶにふさわしい作家さんです。
研究の経験がある作家さんというと、森博嗣先生、森見登美彦先生、星新一先生などが思いつきます。どの作家さんも理系ネタを小説に取り込んでいますね。
今回ご紹介する伊与原先生の「八月の銀の雪」にもそんな”理系ネタ”が作品の核にあります。
この本は表題作を含めた5つの短編からなる短編集なのですが、それぞれの短編に1つずつ理系ネタが使われ、それがストーリーの中で大きな意味を持ってきます。どれも理系の人もそうでない人も「へ〜」と思う面白ネタで、それが上手くストーリーと絡められているあたり、先生の技術の高さに驚かされるばかりです。
では早速ご紹介します。
(この書評を執筆するにあたって、新潮社様より『八月の銀の雪』のゲラ(原稿)を提供して頂きました。この場を借りて厚く感謝の意を申し上げます。)
関連記事:科学と私たちがうまく付き合って豊かになるために【『八月の銀の雪』書評】
関連記事:世界の多様さを思い出す物語【『八月の銀の雪』書評】
目次
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素晴らしいの一言に尽きる
まずこの小説を一読しての感想は「素晴らしい」の一言。
科学の面白さとヒューマンドラマが見事に融合していて、どうしたらここまで上手いストーリーメイキングが出来るのかと、思わず舌を巻いてしまいます。
まずはヒューマンドラマとしての素晴らしさから順に見ていきましょう。
落ち込んだ心を温めてくれる
まず「八月の銀の雪」に収録されている短編は全て、落ち込んだ心を温めてくれるような優しい物語になっています。
この本のあらすじ書かれた次の一文が、この本をよく表しています。。
科学の揺るぎない真実が、傷ついた心に希望の灯りをともす全5篇 (「八月の銀の雪」内容紹介文より)
まずほぼ全ての短編で、主人公はやや暗い雰囲気を伴って登場します。
表題作の八月の銀の雪では、主人公は就活に失敗し続けていて、自分に価値はないのでは?など沈んだ気持ちで生活しています。落ち込んでいるがために、コンビニ店員の手際の悪さにまでイライラする始末。留学生のコンビニバイトに向かって「使えない奴」と評すなど、心が荒んでしまっている主人公。
ただそんな主人公の心を温めてくれるのが、まさにその「使えないバイト」でした。
またこの本の紹介文から言葉を借りましょう。
耳を澄ませていよう。地球の奥底で、大切な何かが静かに降り積もる音に――。 (「八月の銀の雪」内容紹介文より)
ひとの凄さ・良さはすぐにはわからないものです。ふとしたきっかけで主人公は「使えないバイト」のグエンさんと話すことになり、話すうちに彼女が本当は奨学生に選ばれて大学で研究をする大学院生であることを知っていきます。その辺りから主人公のグエンさんを見る目が変わっていくのがわかります。
そうしたグエンさんとのやり取りを経て主人公の気持ちが少しづつ優しく解されていって、読者もろとも暖かい気持ちに包んでくれるのがこの小説の魅力。
最終的にはそのグエンさんとの交流によって主人公が前向きな気持ちを取り戻すのですが、詳しくはぜひご自身で読んで確かめてください。表題作はこちらで公開されています。
ちなみに上で引用した「耳を澄ませていよう」の一文。短編「八月の銀の雪」を読んだ後だと、より素敵な言葉として届いてくるはずです。ぜひぜひまずはご一読ください。
読後感が心地よい
そして「八月の銀の雪」の大きな特徴に、読後感の心地よさがあります。それもまた心を温める優しい物語であるからこそです。
これは個人的な話ですが、私は小説を読む際に読後感をすごく重要視しています。それは小説を読む目的が「息抜き」だからです。読んでいる間はその世界に没入し感情移入できて、それでいて読みきった後にはある種のカタルシスがあってスッキリできる、そんな小説が私には理想的です。
その点で、この「八月の銀の雪」は最高の読後感をくれました。
決して大きな変化があったわけではありません。初めどんよりしていた主人公の空気が一変するわけではないのです。
ただほんの少しだけ晴れ間が見えて少し前向きになれた、その自然な変化が読後感を非常に柔らかく暖かなものにしてくれている気がします。
他の短編でも同じです。主人公はみんな仕事や子育てなど、生活に疲れを感じていて、暗いどんよりした空気を物語に持ち込むのですが、ひととの出会い・科学との出会いでその空気が柔らかく暖かなものに変わっていきます。
読みきる頃には自然と口角が持ち上がってニコっとしてしまう、そんな小説です。
少し生活に疲れを感じている人や何かに落ち込んでいる人に是非読んでもらいたいですね。
散りばめられる科学
さて、ここからが伊与原先生の真骨頂。暖かなヒューマンドラマに絡められた”科学”です。
ここが伊与原先生の妙技とも言うべきポイントなのですが、一見取っつきにくい科学が主人公の心を温める役割を見事に担っています。例えば第二篇として収録されている「海へ還る日」では、育児ノイローゼ気味のシングルマザーの心を癒すのは、なんとクジラです!
まず全ての短編では共通して、初め主人公は科学になんの興味もありません。うーん頑張って科学を広めねば、と思うのですがそれはさておき。
そんなときに主人公と科学を仲介してくれるのが、ひととの出会いです。「海へ還る日」では、博物館で標本や生き物の描画をする宮下さんが第一の仲介人となります。ふと電車で子供がぐずって困っていたところを、この宮下さんに助けられるところから物語が始まります。高齢の女性ならではの知恵と優しさが見えるその電車のシーンでも既に心温まるのですが、それはまだ序の口。
宮下さんが勤務する博物館に誘われて、主人公であるお母さんはクジラの展示を観に行きます。これが科学との初対面。この時点で既に科学の面白さに足を踏み入れていて、クジラは実はカバと進化的に近い種だとか、イルカは実はクジラの一種だとか、いわゆる雑学がどんどん投下されていきます。
そのようなクジラ雑学を通じて、主人公は自分とクジラの共通点を知り徐々に親近感を深めていきます。深い海で孤独に暮らすクジラ、内向的な思考に明け暮れるクジラ、そして同じ性格を持った主人公。そうして自分はこれで良いんだと、自分を慈しむ心を取り戻していきます。
ひととの出会いに加えて、散りばめられた科学が心を温める、そんなストーリーが他の短編にも共通してみられます。
科学で人の心を温める、なんとも難しいことをやってのけている小説だと読むたびに思わされます。
さすが科学者!
さて、この小説を読んでいて私が「科学者らしいな〜」と思ったポイントが2つあります。
1つはときどき見える論理の流れ、もう一つは参考文献です。
読んでいると、AだからB、BだからC、と順を追って論理展開する様が見える時があり、ここに科学者魂を感じずにはいられません。ちなみにその読み味も全くしつこくありません。科学をやっていると「科学者っぽいなー」と気づく、その程度のものですが、科学好きな人が読む際にはディズニーランドの隠れミッキーのようなおもしろポイントとして注目してみてはどうでしょう。
そしてもう一つ、参考文献。これは声を出して笑いました。小説ではなかなかありませんね、参考文献だけで4ページ。しかも英語の論文まで入ってます。これは「さすが!」と思って笑いました。
最先端の研究を紹介するニュース記事とかでさえ、言及している論文の情報が全くないケースがほとんどです。論文の引用くらいしなさいよ、とそんな時に思ってしまうのですが、伊与原先生の小説ではそんなことはありません。
もしこの小説をきっかけに、登場してきた研究をもっと詳しく知りたいと思ったら参考文献を見れば良い。こんな安心感を理系に与えてくれる小説が他にいくつあるでしょう。
ついつい私も参考文献の英語総説を一つダウンロードしてしまいました。これは理系が捗ります。。。
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僕らにとっての科学とは…
この「八月の銀の雪」を読んでいると、科学と人間の結びつきについて色々と考えさせられました。
そこで人にとっての科学について少し考えてみたいと思います。
科学から開かれる人生観
この小説の中では、「科学が人の心を温める」というキーフレーズの元で物語が進行します。その中で印象的なのは、科学を日々の生活の話に持ち込むことで主人公の考え方が変わる、そんなシーンの数々です。
どれもストーリーの根幹に関わるため詳しくお話しできないことばかりですが、一つ例に取りましょう。
これもまた先に紹介した第二篇「海へ還る日」からですが、クジラの展示を観に行った主人公はクジラは陸から海へと戻るように進化した種だと知ります。そこで主人公は思います。「クジラは暗い静かな海で暮らしたかったのかな」と。だとすれば「人混みとか賑やかな場所が苦手な自分と似ているな」と。
どの短編でもこのように科学の知識を日々の生活に当てはめて、より人生観を深めていくシーンが見てとれます。
研究を生業とする人には、「そんな主観的なものは科学的じゃない」とおっしゃる方もいるかもしれません。
その考えも理解できます。
ただ人は自分に関係するものに強く注目するもの。そう考えると科学の楽しみ方の一つは、「自分に関係することに置き換えること」、そして科学を広めたい人間の仕事は「その置き換えを仲介してあげること」ではないでしょうか。
その仲介の仕事を小説を媒体に行なっているのがまさに伊与原先生のこの小説だと強く感じます。
科学=想像=ロマン
そして科学を「自分に関係することに置き換える」ために必要なのが“妄想”です。
先の例でも、クジラの進化の歴史からクジラの気持ちを”妄想”して、その結果としてクジラに親近感を覚えています。
科学の好きな人の多くが理解してくれると思いますが、妄想に思いを馳せること、ありませんか?私はめちゃめちゃあります。
中高生の頃から、宇宙の果てはどうなっているのかとか、ブラックホールはあらゆるものを粉砕する”胃”のような役割をする臓器なんじゃないかとか、取り留めのない妄想をよくしていました。訂正、今でもします。
この妄想もまた科学の楽しみ方の一つだと思うのです。
科学は人類が未だ知らないこの世の真実を理解するプロセスです。では未知のものを知るにはどうするか。そこでまず行われるのは妄想ではないでしょうか。もう少し柔らかい言葉を使うと”想像”でしょう。
科学者が仕事で”想像”をするように、一般人が科学を楽しむために”妄想”をするのはごく自然な話ではないかと思います。
しかし科学は一般的に理解しづらいですから、やはりここでも翻訳とでも言うべき仲介が必要で、まさに伊与原先生はその翻訳家の仕事もなし得ていて、本当に感嘆するばかりです。
科学を身近にするために〜科学x何か〜
さて、伊与原先生が科学をいかに巧みに小説世界へ引き込んでいったか、その凄さをほんの少しでも感じてもらえていたら光栄です。
先ほどもお話しした通り、伊与原先生は科学の知識をわかりやすく翻訳しそしてそれを日々の人生の話に落とし込むことで、科学を身近な所に持ち込んできました。
では多くの人に科学を身近に感じてもらうためにはどんな手段があるでしょうか?
キーとなるのは掛け算だと私は思います。
より多くの人に身近な媒体と科学を掛け合わせる。まさに伊与原先生が小説で成したことを、他の媒体でも行なっていくことで科学を広めていけるのではないでしょうか。
いろんな掛け算がすでに行われていて、その一つが科学とアートの掛け算です。
これは本当に様々な所で実現していますが、例えば筑波大学の教員としても働く落合陽一さんは、自身の研究や自然観をアートに昇華して展示会を開いていたりします。
また、研究の現場で得られるアートを集めたコンテストなどもあります。例えばカメラで有名なNikonは毎年、自然の神秘を最先端の技術で写した画像のコンテストを開いています。どれも美しい写真ばかりで、そこに難しい知識は必ずしも必要ではありません。
この科学xアートは「八月の銀の雪」の小説でも登場しています。4つ目の短編「玻璃を拾う」では、微生物の一種である珪藻が作り出すミクロな “ステンドグラス” が登場します。その美しさが架け橋となって人と人が繋がるこれまた暖かいお話ですが、小説内のお話によればこの珪藻を使ったアートはその界隈だと結構メジャーなものだそうです。実際に、珪藻美術館というフォトブックが出ているくらいです。
科学とアートの相性の良さを考えると、科学が”非日常的”であると同時に、科学が私たちの世界の一部としての”日常”を切り取っている、この逆説的な2つの性質が科学xアートを支えているように思われます。
科学をもっと身近にしたい理系とーくラボの研究員としては、科学の性質を活かした掛け算をどんどん生み出していきたいと、この小説をきっかけに改めて思いました。
さて最後になりますが、心温まる短編集「八月の銀の雪」、まだ読まれていない方はぜひ公開されている表題作のみでも一読されることをオススメします。優しい気持ちに包まれること間違いありません。
話は変わりますが、2020/11/14(土)に『八月の銀の雪』のトークイベントを実施しました! イベントレポートにその様子を少し紹介していますので、そちらも見ていただければと思います!
関連記事:【イベントレポート】”『八月の銀の雪』を語る会” を開催しました!!
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